のんびり、海外自由旅行のすすめ

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北アイルランド紛争とブレグジット - アイルランド基礎知識②

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こんにちは、コウです。 

昨年(2019年)の夏に家族でアイルランドを旅行した際のことを紹介するブログの第5回。今回もアイルランド近代の歴史的背景、特に1970~80年代に渡って世界を震撼させた北アイルランド紛争の悲劇、そしてブレグジット(イギリスのEU離脱)が与える影響について解説します。 

英国支配から共和国独立に至る道のりは、前回ブログで説明したとおりです。 

ko-abroad.hatenablog.jp

しかしその後も英国領として残った北アイルランドでは、プロテスタントによるカトリック教徒への差別が公然と行われていました。1968年頃より、カトリック教徒による抵抗運動が活発化し、プロテスタント系住民と衝突。南北アイルランド統一を掲げるカトリック系のアイルランド共和国軍IRA)と北アイルランドの英国残留を主張するプロテスタント系のアルスター義勇軍(UVF)とによるテロ活動が激化しました。1972年にはアイルランド系のデモ行進に英国軍が発砲し14名が死亡する「血の日曜日事件」、また9名の死者を出したIRAによる連続爆破テロ「血の金曜日事件」など、北アイルランドベルファストは観光客が近づけない凄惨な街と化してしまいました。私が物心ついた70年代後半以降もこのひどい状況は続き、日本でもニュースで頻繁に取り上げられていましたので、よく憶えています。 

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しかし1993年にマーストリヒト条約が発効し、ヨーロッパが統一に向けて動き出したことで、北アイルランド紛争にも好転の兆しが見え始めます。 

1998年のベルファスト合意により和平の土台が築かれ、アイルランド国民投票により北アイルランド6県の領有権を放棄。2005年にようやくIRA武装解除を完了し、今の平和なベルファストが実現されたわけです。両国が統一EUの一員となり、アイルランド共和国北アイルランドとの間には何らの国境線も無く、別の国家とは言え、事実上の統一が実現したのです。 

しかしながら、2016年に英国が国民投票によりEUからの離脱(ブレグジットを選択。今年(2020年)1月末に実際に離脱するまで3年半余りに渡って揉めに揉めた最大の理由は、ブレグジットによりまたもや北アイルランド紛争が再燃しないかとの懸念でした。EUに残るアイルランド共和国と離脱するイギリス(北アイルランド)との間に物理的な国境線(ハードボーダー)が再建されてしまい、あの悲惨な紛争が繰り返されることだけは避けねばならない。しかしその状態を保ったままで離脱を成し遂げる有効な方策が見い出せず、3年半が経過したということだったのです。 

いまもまだその答えは見つかっていません。 

移行期間とされる2020年12月31日を過ぎた後、北アイルランドの扱いがどのようになるのか、不透明感を残しつつ見切り発車せざるを得なかった英国ジョンソン政権。 

いずれにせよ、北アイルランド紛争への逆戻りだけは絶対にしてはならない。それが世界の人々の願いであることは間違いありません。 

 

 

 

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